明治から現代までの「シチューの歴史」を振り返る
――どうやってシチューは日本に広まった?

日本地図

そもそものシチューの発祥は、16世紀〜17世紀のフランスとされています。しかし、「シチュー」だけでなく、「スープ」や「煮込み料理」など、世界各国にはさまざまな料理があり、その区別や定義も存在しないため、正確な情報は掴めないのが実情です。シチューについてのまとまった記録があるわけではないので、諸説あるものも多いですが、この記事ではそんな断片的な記録をつむぎながら、日本におけるシチューの普及についてをまとめています。

明治時代には日本でも定着しはじめていたシチュー

日本では、明治時代の中ごろからレストランメニューとしてシチューが定着しはじめたそうです。具体的には、東京・九段の洋食店「南海亭」、山形・西洋料理店「ちとせ」、東京・八丁堀「松の家」などで、メニューや献立として登場していたんだとか。当時の他のメニューと比べるとかなり高価なものだったそうです。

そして、明治時代の後期ごろになると、雑誌にも他の西洋料理と並んでシチューが登場するようになります。1900年代初頭に刊行の『新撰和洋料理精通』に「かぶのスチウ(シチュー)」としてレシピが紹介され、『滋味に富める家庭向西洋料理』にはクリームシチューのような食べ物が登場しています。

他にも、外国人宣教師夫人から習った料理の覚えを筆書きしたものもあったとのこと。そこには、「チッキンスチュウ」と書かれていたそうです。内容としては、丸鶏を材料として4時間ほどかけて作るスープの製法説明や、「上記スープを取りし後の肉をこまかく切り、バタ(匙半杯)をフライ鍋に入れ、玉ねぎ細(みじん)をその中に入れかきまわし、ねぎの焼けて香ばしきかおりの立ちし時、メリケン粉を入れスープ乃至(ないし)水にてもよし、加えて薄葛ほどにねり、それに前のきざみしとりを入れる。尚ハムを薄く切り、1人前2切あてくらい入れ、ほかににんじん、大根、かぶなど(ゆで)入れ…」などと書かれていました。

レストラン厨房のイメージ画像

昭和時代に入ると、シチューは学校給食により全国にも普及

昭和時代のはじめには、魚のシチューが雑誌『婦女界』の付録である「家庭惣菜料理十二ヶ月」に登場。これは同誌の復刻版である1995年発刊の『大正・昭和初期の家庭料理の本』にも記載があります。

惣菜向け西洋料理の知識として、魚の料理のページに「スチュー:味を付けて煮る料理」、「野菜の料理」のページには「味付煮込料理で、これも最も廣く行われており、材料としては色々なものが用いられます」とあります。他にも、「魚のスチューには小粒のたまねぎを、肉類のスチューには玉葱、人参、豌豆(えんどう)等をあっさり煮て、付け合わせます」とも書かれています。

また、当時は既製品のルウが登場する前だったので、ホワイトソースもすべて手作りしなければなりませんでした。そんなホワイトソースの「白いシチュー」が日本全国に普及したのは、戦後の「学校給食」が大きな要因だと言われています。

しかし、「白いシチュー」とはいっても、学校給食に登場したものには本格的なホワイトソースではなく、小麦粉でとろみをつけただけというようなものも少なくなかったようです。

給食のイメージ

昭和の後期には、ハウス食品の「シチューミクス」が登場

その後、1966年(昭和41年)にハウス食品の顆粒状(発売当初は粉末状)のルウ、「シチューミクス」が発売されたことによって、誰もが家庭で簡単においしく「白いシチュー」を作れるようになりました。

「シチューミクス」開発のきっかけは、担当者が昔給食で食べていた「白いシチュー」、あのシチューのルウを作りたいという気持ちからでした。そのうえで、もう一つ担当者が考えたことは、ごはんのおかずになるシチュー、毎日食卓に違和感なく登場させられるシチューということでした。

発売当初のハウス食品「シチューミクス」のパッケージ
ハウス食品の「シチューミクス」。発売当時のパッケージ(ビーフ/クリーム)には、開発にあたってアイルランドのアイリッシュシチューを参考にしたことから「IRISH STEW 欧風煮込み料理」の文字が入っています。

発売当初には、スーパーなどでお客様にも試食していただきましたが、まだまだなじみのない料理だったため、はじめのうちはなかなか試食皿を受け取ってもらえませんでした。ただ、試食していただいた方には「おいしい!」と好評。ファンはどんどん増えていきました。

シチューミクスの歴史をもっと詳しく知りたい方はこちら

平成・令和でも進化し続けているシチュー

ハウス食品の「シチューミクス」の発売以降、シチューは日本の食卓に広く浸透しました。シチューは子どもだけでなく高齢者も食べやすく、しかも簡単に作れる料理であることも人気を後押ししたでしょう。

そんなシチューが家庭の食卓でなじみ深いものになるにつれ、さまざまな調理法や食べ方も生まれました。自由に具材をプラスする人が多くなり、さまざまな素材が使わるようになったり、献立の中でもメインディッシュとしてだけでなく、もっと軽い洋風汁もの感覚でメニューに登場したり。ハウス食品のホームページにも、「生クリームいらずの濃厚カルボナーラ」や「秒速!クリーミー茶漬け」など多様なレシピが載っています。

ハウス食品は、クリームシチューをごはんと分けて食べる「わける派」か、ごはんにかけて食べる「かける派」か、クリームシチューの「わけかけ論争」について全国調査を行い、ごはんと「わける派」68.0%、「かける派」32.0%という結果となりました。詳しい調査結果は特設サイトでも公開しています。

<調査概要>
■実施時期:2023年2月1日(水)~2月7日(火)
■調査手法:インターネット調査
■調査委託先:電通マクロミルインサイト
■調査対象:各都道府県別に、クリームシチューを食べる10代〜60代の男女各180人ずつ・計8,460人
※わける派/かける派の割合は8,460人のうち「シチューをごはんと食べる」と回答した5,617人を対象とした数値です。

「わけかけ論争」のバナー
詳しい調査結果が気になる方は画像をクリック!

今回、日本におけるシチューの歴史について紹介しました。断片的な記録も多くありましたが、現代の食卓に並ぶまでの軌跡が見えたのではないでしょうか。シチューを食べる時に、このシチューの歴史を思い出してみるともっとたのしくおいしく食べられるはずです。

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「シチューのじかん」編集部

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※掲載情報は、2024年9月時点のものです。
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