カレーの日本史 明治

文明開化の掛け声とともに、早々と日本に上陸を果たしたカレー。歴史を振り返ると、カレーが明治の日本に浸透していくスピードには驚かされるばかり。激動のカレー黎明期です。

1868年(明治元年)

当時のできごと 明治維新

1871年(明治4年)

日本人、初めてカレーライスに出会う

日本最初の物理学者となる山川健次郎が米国留学への船上でライスカレーに出会いました(ただし「食う気になれず」との記録があります)。

1872年(明治5年)

当時のできごと 新橋・横浜間鉄道開通

カレーの作り方を紹介した本が発刊される

料理書『西洋料理通』(仮名垣魯文)、『西洋料理指南』(敬学堂主人)発刊。
ペリーの浦賀来航以来、日本の鎖国体制は事実上崩壊。横浜周辺にたくさんの欧米人が住みつき、それにともなって「洋食」も少しずつ日本人の間に広まっていきました。
『西洋料理通』の中で「カリードヴィル・オル・ファウル」の作り方は、【冷残の子牛の肉或いは鳥の冷残肉いずれも両種の中有合物にてよろし 葱四本刻み林檎四個皮を剥き去り刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其の中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混て炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし】と紹介されています。

このころ牛肉は「文明開化」の象徴となり、急速に普及。その手軽な食べ方としてカレーをうながしました。

1873年(明治6年)

陸軍幼年学校の土曜日の昼食にライスカレーが登場

1876年(明治9年)

札幌農学校が開校し、寮で1日おきのライスカレー食が開始される

この年に「Boys, be ambitious!」でおなじみのクラーク博士が来日し、札幌農学校(現在の北海道大学)が開校しました。1日おきのライスカレーはクラーク博士の発案と言われています。

1893年(明治26年)

『婦女雑誌』に「即席ライスカレー」の作り方が紹介される

『婦女雑誌』の中で「即席ライスカレー」の作り方は【煎茶茶碗に一杯のバターと葱三、四本を細かに切りたるを深き鍋に入れ、強き火に懸け、葱の柔らになりたる時、煎茶茶碗に八分目程の粉を入れ、絶えず攪き廻しながら鳶色になるまで煎りつけて、煎茶茶碗に半杯のカレイ粉(西洋食糧店にあり)を入れ、かくて鰹節の煮汁(これは鰹節半本にご飯茶碗六杯の水にて前に拵へ置くべし)を少しづつ注ぎ入れながら攪き回し、醤油を適宜に加へ十分間程弱き火に懸け、味噌漉しにて漉し、其汁へ湯煮したる車鰕或は鳥肉を入れ、炊きたての御飯にかけて食すべし】と紹介されています。

1894年(明治27年)

当時のできごと 日清戦争(1894~1895年)

1904年(明治37年)

当時のできごと 日清戦争(1904~1905年)

1903年、村井弦斎が、料理小説『食道楽』を報知新聞に掲載開始。その後単行本になりベストセラーとなった小説ですが、この中で印度風カレーの作り方を紹介しています。
このころ、日本郵船ヨーロッパ航路の一等船客の食堂で、カレーライスに福神漬けが添えられるようになりました。ちなみに海産物や珍味類の老舗「酒悦」の福神漬けの誕生は明治の初期ごろ。

1905年(明治38年)

初の国産カレー粉が登場

大阪の薬種問屋「今村弥」が、日本で初めて国産カレー粉を製造・販売。

明治30年代になるとカレーライスはチャブヤ(=居酒屋を兼ねた洋食屋)のメニューの定番に。チャブヤは外国人船員などを相手にできた店ですが、そこに日本人も行くようになり、洋食の中でカレーがもっとも人気でした。価格は5〜7銭。

1906年(明治39年)

「カレーライスのタネ」が発売される

東京・神田の「一貫堂」がお湯で溶くだけで使える(肉も入った)「カレーライスのタネ」を発売。
発売時の広告には「本種はカレー粉及び極上生肉等を混合乾燥し固形体となしたる故 腐敗の憂いなく製造は熟練となるコックに担任せるを以て 其味美に其香芳しく。用法は熱湯を以てドロドロに溶き 温き御飯にかけて食べるのです。故に旅行携帯に至便スワ来客という場合珍味を供する便利あり。尚流行の蒸パンにバタの代りに着けて召しあがると至って結構です」とあります。

このころ、家庭料理に「和洋折衷」が流行り、婦人雑誌などで紹介されました。中には「カレー味のみそ汁」、「カレーにウニと海苔をかけて食べると至極結構です」(『家庭雑誌』)など珍奇なものも。

1907年(明治40年)

開業した青森駅の旅客待合所にライスカレーが登場

1908年(明治41年)

大阪でカレー南蛮が誕生

大阪のおそば屋さんが流行の洋食を取り入れられないものかと、試行錯誤の結果生まれたのが「カレー南蛮」でした。

明治の終わりごろには、「じゃが・たま・にん」がカレーの定番の具材として定着。このスタイルは日本独自のもので、インドのカレーにもイギリスのカレーにもありません。

※掲載情報は2020年11月時点のものです。

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