カレーの日本史 江戸後期

日本人が初めてカレーを目にしたのは、幕末の頃。当時のエリート達が、西洋文化といっしょにカレーに接触していました。勤勉な彼らはその体験をしっかりと記録に残しています。日本の未来を背負った青年達が書き残したカレーの姿とは?

1853年(嘉永6年)

当時のできごと 米国よりペリー浦賀来航、開国を求める

1859年(安政6年)

当時のできごと 長崎、箱館(函館)とともに横浜開港

1860年(万延元年)

福澤諭吉、英語の辞書『増訂華英通語』を出版

日米修好通商条約の批准書交換のための遣米使節団の一員として米国に渡った福澤諭吉は、そこで『華英通語』という中国語と英語の辞書をみつけました。これを購入して帰国し、カタカナで英語の読みと、日本語の意味(例えば「Bake/ベーキ/ムシヤキ」)をつけたものを出版します。「Curry」は「コルリ」という読み方で紹介されていました。

開港を機に、修好国の商人達が横浜に館を構えはじめ、使用人や出入りの日本人を通して、他の西洋料理とともにカレーが日本人に伝わりはじめました。

1863年(文久3年)

幕府の遣欧使節一行、訪欧の船上で初めてインド人が食べていた「カレー」らしきものに出会う

幕末の混乱期、英国との外交問題収拾のためナポレオン三世に助力を請う目的で派遣された使節団一行は、途中フランスの船に乗りかえ、インド人達と乗り合わせます。随行した三宅秀(ひいず)の日誌に、そのインド人達が夕日に向かって三度礼をしてから「飯の上に唐辛子細味に致し、芋のどろどろのような物をかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す。至って汚き人物なり」とあります。

※掲載情報は2020年11月時点のものです。

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