カレーの日本史 大正・昭和初期

国内の経済が発展していく優雅な大正デモクラシーの時代、活発な民間の活力が豊かなアイデアを次々と生み出し、カレーを取り巻くビジネスも大いに広がりを見せていきます。それにともない、現在では信じられないような「カレー大事件」も!ハウス食品が創業、発展した大正・昭和初期は歴史のロマンを感じるエピソードが溢れています。

1913年(大正2年)

ハウス食品の前身「浦上商店」、大阪市松屋町筋に創業

1892年、徳島の士族の家に生まれた浦上靖介(うらかみせいすけ)は10歳の時、当時すでに大阪で薬種原料店を営んでいた兄を頼って、単身大阪へ出ます。

船場の薬種問屋で働いて商売の基礎をみっちり学んだ靖介は、独立を決意。1913年11月11日に薬種科学原料店「浦上商店」を開業しました(この日は現在もハウス食品の創立記念日です)。取り扱い品目は、肉桂、大黄、千振、白南天などの和漢薬品、丁子、唐辛子、クミン、セージなどのソース原料、また松脂粉末、アラビア糊、硫酸、炭酸などの工業薬品類も扱いました。

創業者の浦上靖介を成功に導いた「商売の基本」とは、「品物に間違いがないこと」「安いこと」「期日を守ること」でした。

1914年(大正3年)

「ロンドン土産即席カレー」が通信販売で流通

東京・日本橋の「岡本商店」が「肉や野菜を煮てこれをお湯で溶いて煮る」、まさに元祖カレールウとも言える「ロンドン土産即席カレー」を発売。ただし現在のように固形ではなく粉末状で缶入り。15人分30銭。町の食堂のライスカレーの値段が5〜7銭でしたから、安くはないですが手ごろな価格というところでしょうか。

このころから婦人雑誌誌面の通信販売が盛んになり「ロンドン土産即席カレー」も『婦人之友』の通信販売に取り上げられ、「手軽に出来て美味、食欲の進まぬ時、突然の来客のあった時、之が一番」というコピーが添えられていました。

1923年(大正12年)

当時のできごと 関東大震災

1925年(大正14年)

当時のできごと 東京放送局(NHKの前身)ラジオ放送開始

1926年(大正15年)

ハウス食品の前身「浦上商店」が「ホームカレー」の製造・販売を開始

1921年、「浦上商店」は得意先からカレー粉の販売を委託され、これを機に浦上靖介はカレー粉の研究に没頭。そして1926年、カレー粉を研究中の靖介のところに「稲田食品製造所」の社長から、会社を譲りたいという申し入れがありました。靖介は非常に心を動かされる一方で、市場が未成熟でリスクが大きすぎるのでは、との不安もありました。靖介の決断をうながしたのは、夫人の「やりなはれ、夫婦が力を合わせたら実らんわけはあらしまへん」という力強い言葉でした。こうして「ホームカレー」の製造・販売がスタートしたのです。

1927年(昭和2年)

東京・新宿「中村屋」に高級カレー「純印度式カリー」が登場

パン、食品の製造販売メーカー「中村屋」は、レストランのカレーでも有名ですが、この「純印度式カリー」のメニューが誕生したのが1927年。当時、「中村屋」創業者相馬愛蔵・黒光夫妻は、イギリス政府から懸賞金をかけられていた、インド革命の志士ボース(夫妻の長女と結婚)をかくまっていましたが、「中村屋」のカレーのレシピはこのボースによるものだったのです。

日本に亡命したボースは、当時の日本のカレーを見るにつけ、インドのカレーとは違うと嘆き、本格的なおいしいインドカレーをと相馬夫妻に説いたそうです。本格的でありながら日本人の味覚に合うカレーを工夫して登場したこのメニューは、町のカレー屋さんのカレーが10〜12銭だったのに対して80銭と高級でしたが、それでも大変な人気を呼びました。

1927年(昭和2年)

東京でカレーパン誕生

カレーパンは、1927年、東京の下町のパン屋さん「名花堂」(現「やきたてパン カトレア」)が実用新案登録して世に出したものです。そばにカレーを合わせたカレー南蛮のアイデアも秀逸ですが、パンの中にカレーを入れるというアイデアも日本人以外は誰も思いつかなかったようで、これも日本オリジナル。

1928年(昭和3年)

「ホームカレー」を「ハウスカレー」に名称変更

ハウスの前身「浦上商店」の「ホームカレー」は、製品の改良を重ねた結果少しずつ売り上げを伸ばしていきます。1928年、新しいブランドが誕生しました。それは「ハウス」。浦上靖代夫人から「日本には『ホーム』の概念はあらしまへん。『ハウス』だす」と言われた靖介は「これこそ日本人にぴったりの商標である」と確信。家のマークの新商標「ハウスカレー」が誕生しました。

「ホームカレー」を「ハウスカレー」に名称変更

1928年(昭和3年)

東京・銀座「資生堂パーラー」でも高級カレーが登場

東京・銀座「資生堂パーラー」でも高級カレー(カレーとご飯が別々に盛られ、各種薬味付き)が登場し大人気に。

1930年(昭和5年)

このころまでに、カレー粉の発売元が急激に増加

ノーブル商会「スイートカレー」、今村弥商店「蜂カレー」、弘樹屋商店「メタル印カレーの友」、キンケイ食品「ギンザカレー」、日賀志屋(現エスビー食品)「ヒドリ印カレー粉」など。

1931年(昭和6年)

当時のできごと 満州事変始まる

「C&Bカレー粉」詰め替え偽装事件

家庭向けにさまざまなカレー粉が発売される中、プロの間では依然、本場イギリスの「C&B(クロス&ブラックウェル社)カレー粉」が最高級品となっていました。ところが、1931年、偽造した「C&Bカレー粉」の缶に国産品を詰めて販売していた偽造事件が発覚!

大きなニュースとなりましたが、注目されたのは「中身を詰め替えられても誰も味の違いが分からなかった」という事実。この事件を機に、日本製も C&Bに遜色がない、ということから国産品が増えていくことになりました。

1932年(昭和7年)

大阪「阪急百貨店」の食堂でライスカレーが大人気に

阪急電鉄の創始者・小林一三がターミナル駅大阪・梅田にデパートを作ったのは1925年、今でこそ電鉄系のターミナルデパートは当たり前ですが、当時は画期的で人気を集めました。

そして4年後にはそのすぐ隣により本格的なデパートをオープン。そこの食堂の目玉メニューがランチとカレーでした。
その後も食堂の人気は高まり、1936年には、何とランチ(コーヒー付きで30銭)が1日1万5千食、カレー(コーヒー付きで 20銭)が1万3千食という、信じられないような数字が残っています。

1936年(昭和11年)

当時のできごと 二・二六事件

1941年(昭和16年)

当時のできごと 太平洋戦争始まる

この年から1945年の終戦まで、食糧統制のため、各メーカーともカレーの製造・販売は中止。ただし、軍用食のためのカレー粉だけは製造していました。

※掲載情報は2020年11月時点のものです。

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