シチューは西欧食文化の原点(1)

  • シチューは西欧食文化の原点(1)
  • シチューは西欧食文化の原点(2)

肉の生食から、「火で」焼いた「おいしさ」の発見へ

狩猟採集からはじまった人類の食の歴史は、気候的に恵まれたアジアなどでは比較的早い時期に農耕中心に変わりましたが、きびしい気候条件のヨーロッパ大陸などでは農耕はむずかしく、したがってかなり長い間狩猟採集の生活が続いていました。狩猟採集の食の中心は「肉」です。最初は生で、そして火の発見によって、食のありようは革命的に変化します。

火の発見はまったく偶然のもので、たとえば山火事や噴火や落雷といった自然現象がきっかけだったかと思われますが、たとえばクロマニヨン人(3万年前)は、そうして得た火種を絶やさぬよう、石の鉢などに獣の脂を入れて保存したと考えられています。やがて人類は「火を作る方法」も発見します。また、瞬間的に燃える火だけでなく、油脂や石炭や木炭などにより長時間にわたって火を燃やし続ける技術も覚えたでしょう。

「火」で焼く調理から、さらに「水」を加えて煮る調理へ

そして食べものを加熱するのに、焼いたり炙ったりする方法と平行して当然ゆでたり煮たりすることの有用性にも気がついたはずです。狩猟で得た大きな獲物を、細かく処理するほどの道具はなくても、骨付きのままおおざっぱにさばき、食べられる植物の根や果実、木の実などとともに煮込むと、今まで経験したことのない味に出会ってきっと大喜びしたに違いありません。苦労して覚えた塩漬けや燻製といった保存食材も煮込み材料になり、これまた予想外の美味につながったのではないでしょうか。まだ「シチュー」という言葉はありませんが、これが「シチュー」の歴史のはじまりといってもよいでしょう。

30〜40種類もの材料を使った、ローマ時代の「シチュー」のレシピ

古代ローマの皇帝アウグストゥス時代、『料理大全(Ars Magirica)』という料理書を記したアピキウスは、さまざまなレシピを残していますが、その中には30〜40種もの材料が入る、いわば「ごった煮」がいくつもあります。もともとは粗食に甘んじていたローマが、アジアまで征服し、短期間に珍奇な食材を入手するようになり、それらを材料として、ワインやスパイスや魚醤でめったやたらに味をつけたといえなくもないようなレシピです。

中世ヨーロッパの庶民の料理は「煮込み/シチュー」につきる

その後の中世になると家庭料理のレシピはほとんど現存しませんが、たとえば荘園小作人の財産記録からは、大部分の農民の家には真鍮の深鍋(ポット)あるいは平鍋(パン)があったことが知られていますし、遺跡からは陶磁器(セラミック)の鍋も発見されています。大部分の農民や庶民の食事は、おそらくそうした鍋で穀物を煮た粥や、肉料理とスープを兼ねた特別な料理名もない煮込み(この時代にもまだ「シチュー」の語はありません)が中心だったのではないでしょうか。

ノルウェー・ベルゲン市ブリッゲン地区(12〜13世紀には首都だった)には世界遺産に指定された歴史的な木造建築が並ぶが、写真はそこに残る、1700年代にハンザ同盟の商人達が利用した集会場の地下室に設けられた厨房。土間の真中には熾火(おきび)を使ったと思われる石を敷いた火床があり、大鍋がいくつも吊るされている。

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