ハウス商品の歴史 1949年:即席ハウスカレー
<商品について>
戦争により製造を中止していた「ハウスカレー」を1949年に「即席カレー」として製造再開し、1952年に「即席ハウスカレー」として発売。「ビタミルク入」という言葉が時代を感じさせますね。
<商品データ>
1箱130g(8皿分)50円
<当時の時代背景>
北海道実演
1951年(昭和26年)ごろ、北海道の美唄や室蘭など各地に出向いて、カレーの調理実演と試食活動を行いました。農家や、炭鉱街のたくさんの人たちが仕事の合間にどっと詰めかけ、熱心に耳を傾けてくれたそうです。
名古屋食品フェアのアドカー
1951年(昭和26年)の名古屋食品フェアのための、ハウス初のアドカー。戦前の荷車に飾り付けした宣伝車は、戦後は自動車に。はじめは「アドカー」と呼ばれていました。
宣伝カー2号
「アドカー」はのちに「宣伝カー」と呼ばれるようになりました。まだテレビもないころで、スピーカーからヒットソングやコマーシャルソングを流しながら、社員はマイクでカレーを宣伝しました。宣伝カーは大人にも子どもにも人気でした。
また各地のお得意先からの依頼も多く、街頭や店頭での宣伝活動にも活躍しました。写真は1952年(昭和27年)に活躍していた、「宣伝カー2号車」。三輪車なので小回りがききました。
宣伝カーうぐいす号
昭和30年代に入るとハウスの宣伝カーは50台にもなり、日本全国を走り回るようになりました。宣伝カー1台のスタッフは男性3名と女性2名で、ギター・アコーディオンをバックに歌ったり、商品の説明をしたりました。写真は宣伝カーうぐいす号とハウス食品創業者で当時の社長・浦上靖介。
街頭漫才
1957年(昭和32年)には、大阪のプロの漫才師、望月ボン太・ララ子の街頭漫才と即売会も実施。兵庫、岡山、広島とまわりました。
宣伝カーは、1965年(昭和40年)、車の普及が急速に進み、交通事情の悪化、テレビコマーシャルの全盛という時代の流れの中で、その使命を終え、その後は配達車として利用されました。
昭和20年代~30年代前半のラジオ・テレビコマーシャル
1951年(昭和26年)、民放ラジオ局・中部日本放送や新日本放送(現・毎日放送)の開局に伴い、ハウス食品でもいち早くコマーシャルソングを制作、「ハウスカレーの歌」が電波に乗ってお茶の間に流れました。
♪市場帰りの買い物かごに いつも忘れぬ赤い函
♪貴方も大好き 私も大好き 家のマークのハウスカレー♪
1953年(昭和28年)、NHKに続いて、民放テレビ局開局。1日2回「家のマークのハウスカレー」と生コマーシャルを流しました。
※製品情報は発売当時のものになります。