ハウス商品の歴史 1926年:ホームカレー

<商品について>

缶入り粉末カレー

<商品データ>

新聞広告によると大中小の3つのサイズで販売されていました。
大が50人分、1円25銭。中が25人分、70銭。小が10人分、30銭。(その後、浦上靖介商店で生産されたホームカレーは150gでした。木箱に5ダース入り。1人分9~10g)

1926年:ホームカレー

<当時の時代背景>

ホームカレーについて

ホームカレーについて

1926年(大正15年)、稲田食品製造所から「ホームカレー」の商標・工場・営業権などを譲り受けた創業者の浦上靖介は、薬種化学原料店から食品製造販売に乗り出しハウスカレーの一歩をふみ出しました。持ち前の味覚・嗅覚の鋭さを生かし、何度も試作、試食を繰り返して、日本中すべての家庭に好まれるカレー、手軽でだれが作ってもおいしくつくれるカレーをめざして研究を重ねました。

ホームカレーは粉末カレーのため、梅雨時期には湿って固まり返品されたものでした。当時はカレーを見たこともない人や食べたこともない人が多く、地方の問屋に売り歩いてもなかなか売れない開拓者の苦労を味わう時代でした。都会の食堂ではライスカレーは出ても、地方では「薬くさい」、「カレーって何?」と聞かれるような時代でありました。創業者が身を粉にして売り歩き、1928年(昭和3年)ごろには世の中に出回るようになったのです。

『日本で未だ誰も知らぬ「ホームカレー粉とは何?」一食唯だ二銭五里で出来る家庭ライスカレの粉、各地信用ある和洋食品店及び薬店にあり』と、1926年(大正15年)の大阪朝日新聞に出ています。缶入りの製品は木箱に入れられ問屋さんに納品されていました。

ホームカレーの作り方

人数分の粉末カレーをお湯に入れた小なべで溶かし、具や野菜を煮た大きななべに移しかき混ぜ、しばらく煮込み、とろみが出ると出来上がります。

販売の苦労話

当時のカレーのイメージは、高級よりも「ハイカラ」なものとして知られていました。外で食べるカレーは、高いが見てくれよりもうまい物と子どもは思ったそうです。一般家庭にないメニューを売り込むのですから大変で、贅沢な人力車に乗って問屋に商売に行くこともありました。少しはったりをかませて商売を成立させたこともありました。しかし、8割が返品の繰り返しでした。当時新聞以外にマスコミがないので、口コミで強引に市場へ持ち込まねばならなかったのです。その後、ハウスカレーにブランドを変え、売上げは着実に伸びるという成長の時代に入りました。

※製品情報は発売当時のものになります。

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